切ない

リンクが切れるかもしれないのでネットで見た記事をコピペ。
 「真っ黒い波が数十メートルの高さに立ち上がり、一気に倒れてきた」。海岸から数百メートル先に住む無職、熊川勝さん(73)は目前に迫る大波に度肝を抜かれた。妻洋子さん(73)の手を引いて2階に駆け上がったが水位はみるみる上がり、洋子さんを抱えて顔を出すのがやっとになった。死を覚悟し「これまで、ありがとな」と呼び掛けると、洋子さんはうなずいて唇を動かした。「お父さん、ありがとう」
 もう一度、熊川さんが「2人で孫3人の名前を呼んで終わりにしよう」と声を掛けた直後に強い衝撃があり、洋子さんが沈んだ。必死で手をたぐったが、渦巻く波に引き込まれていった。熊川さんは着ていたジャンパーが偶然浮袋代わりになり、天井と屋根の隙間(すきま)で息ができた。引き波で家ごと沖に向かって流されかかったが、橋桁に飛び移って助かった。その間、ずっと洋子さんの名を叫び続けた。
 その後、身を寄せた県内の親族宅も原発事故の深刻化でいられなくなり、横浜市の長女(42)の元へ。だが、原発から約5キロの請戸地区には捜索が入らないままで「原発内で(復旧の)作業している人もいるのに、何で警察も自衛隊も助けに行かねんだ」。もどかしさが募った。
 今月14日。警察の捜索がようやく始まり、熊川さんはすぐ福島に戻った。洋子さんが最後までつかんでいたジャンパーを着て、日々、遺体安置所や遺留品写真の掲示所を回る。もし、捜索が打ち切られたら自分で捜しに行くつもりだ。「女房は『金婚式の時は、日光の紅葉を見たい』と楽しみにしていた。秋には骨つぼ抱いて紅葉見に行ぐんだ」
(=毎日新聞 4月20日(水)10時16分配信【大場弘行】)
泣きました。本気で泣きました。
あの日こんな悲劇が何百何千とあったのかと思うと改めて悲しくなった。
長年連れ添ってきた妻との別れがこんななんて。目の前で愛する妻が沈んでいく・・・あまりにも残酷です。そしてその遺体すら捜しに行けない現状。
どうしようもない悲しみがいまだ多く残っている。
がんばろう日本。がんばろう東北。がんばろう福島。・・・私も好きですこの言葉。
でも人によってはそれが重荷になることもあると思う。
家族を失った方に「がんばろう」はきつすぎる・・・。
今後こういった方たちに何ができるのか・・・心のケアが重要になってきそうです。
そういった方がいる一方
「<東日本大震災>対応の「組織乱立見直す」…菅首相
「会談で田中氏(民主党田中慶秋衆院経済産業委員長)は「組織ばかり作ればいいものではない。半分はだいたい同じメンバーだ。分かりやすくスピードのあるシステムを作るべきだ」と述べ、首相は「その通りだ」と応じたという。
前回に引き続き、あきれてものがいえません。
震災に関しての委員会を乱立させ、大臣を増やしまくったのは菅総理、あなたでしょうが!
なんなんだこの政府・・・



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