水は来たが

今日の午後に水道が通った。
ヨウ素がほんの少し含まれているとの情報だが、とりあえず水道が戻ってきたことは大きい。
軽くゆすいで拭いていた食器を洗い、トイレが思い切り流せるようになった。
そのあと久々にお風呂に入ることができ、さっぱりした。
原発の問題はいまだ収束の目処はたたない。
津波などにあった方々には大変申し訳ないが、ここ福島市はそれほどのダメージを受けてないので震災からは復興できる!しかし放射能汚染からは素人では復興できない。
なんとかならないだろうかと、ただただ静観しているしかなのが歯がゆい。
早々に見切りをつけて避難する手もあるが、今の会社のこと、避難したとしても避難先での生活のことを考えると避難に踏み切ることができない。
それにしても今日の対策はお粗末としか思えない。たった2機のヘリで30tの水をぶちまけてどうするのだろうか。高圧放水車も「届きませんでした」って・・・。まず原子炉の大きさを考えてたった1台でどうするつもりだったのだろうか。「なんかやってますよ」っていうパフォーマンスにしか見えない。
自分たちで言っている危機的状況って意味を分かっているのだろうか。ヘリもあの高度から2回ずつなら50機編成でやるとか、もうなりふり構ってはいられないのではないだろうか。
家の中でブログを書きながら見守っているだけの自分にそんなこと言う資格はないかもしれないが、政府や東電上層部の本気が全然見られない。
先ほども書いたが福島市は意外と地震のダメージは少ない気がする。そのせいか、被災地であるにもかかわらず、より深刻な被災地に救援物資が行くからか物資がなかなか届かない。
TVで北茨城の方のFAXを読み上げていたが、同じような事を言っていた。
深刻な宮城や岩手の海岸地域に物資を運ぶのはわかるが、そこに集中して送らないで、もっと計画だって配れないのだろうか・・・。福島でも物資、燃料の不足は深刻です。
さて、今回の地震の映像を見て「ボランティアに行きたい!」と思っている方も多いのではないだろうか。
ブログめぐりをしていた時、とても感心した記事があったので紹介します。
被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ〜僕の浅はかな経験談
阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかもセンター試験の翌日だった。
遠くから沢山のトラックが走ってくるような、不気味な音が夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてTVをつけると、阪神高速が崩壊していた。家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが記憶に残っている。
その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験のための面談をしなければならなかった。僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の堀から水が溢れ出していた。
学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、先生は特に何も言わなかった。粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕達の仲間で三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校はしていなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったらボランティアに行こうと話をしていた。
下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話しだした。
「今回の震災で我校の教師や生徒も被災者となり、登校できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての役目を終えた人もいると思います。あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む人もいるでしょう。それは間違ったことではありませんが、正直に言えば、あなた方が役に立つことはありません。それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事をよく聞いてください。
まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の食料に手を出してはいけません。
寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。あなたがたが寝てはいけません。
作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否してはいけません。集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。
以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありませんが、若く、優秀で力があります。少しでも役に立つことがあるかもしれない。
ただ私としては、今は現地に行かず受験に集中し、大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の災害を防ぐ人材になって欲しいと思っています。」
言葉の端々は忘れてしまったが、教師が言いたかったことは今でもはっきり憶えている。
結局僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも立たなかった。
配給のパンを配って回ったり、お年寄りの移動に付き添ったり、避難所の周りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、寝るところは防犯上困ると言われて避難所の中で寝た。生活のインフラ整備や瓦礫除去作業は、消防や自衛隊があ然とするくらい力強く、迅速に問題を解決していった。僕達の存在は宙に浮き、遊び半分で来たボランティアごっこのガキ扱いをされていた。実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者はたくさんいたし、そういうグループと僕達が、能力的に大きな差があったかというと、とてもそうとは言えなかった。
僕達が現地で強く学んだことは、「何かして欲しい人」がいて「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということだった。人が動くためには、「人を動かす人」が必ず必要になる。社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。
僕達は現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人を経て京都の大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。結果的に僕達の正義感は、ハリボテだったのだ。正直に告白し、反省する。僕たちは、神戸への気持ちを、たった一年間も持続させる事さえできなかった。
今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。
そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。
結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は違っても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に辿り着いた。あの頃よりも、少しは人の役に立てるようになったんじゃないかなと考えている。
とても納得のいく記事だった。
ボランティアに来てくれる人は大きな正義感を持ってきてくれるとは思う。
とてもありがたいと思うし、すばらしい行動力だと思う。
でもちょっとだけ引いて考えてみてもらいたい。
心のどこかで「現地を見てみたい」って思ってるだけでは?「被災者と苦しみを共有したい」と思っているだけでは?被災者の方々も全く知らない人がポッときて世話をされても困惑するだけかもしれません。
ボランティアにくるにしても個人個人でくるのではなく、正規のボランティア団体に加入してから行動するほうがいいかもしれない。
でももちろん日本中、世界中のみんなの善意はとてもすばらしいと思う。
※ぐちブログですみません。この記事を読んで不快に思う方もいるかもしれません。私も読み返すと「自分勝手だよな」って思うところがあります。それでも今の状況でストレスがたまり気味で、書く事によって吐き出させて下さい。まことに申し訳ありません。m(_ _)m
(追記)
たった今パンが焼けた。(17日23:00)

食料が少ない今、家にベーカリーがあってよかったよ。
(追記2)
ボランティアに関する記事は誤解が無いように補足します。
記事主も私もボランティアを否定するものではありません。ボランティア自体はものすごく立派ですばらしい物だと思います。
ただ、興味本位、なんとなく、でボランティアに参加する気ならやめたほうがいいと私は思ったので、この記事に賛同しました。



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